3.起業独立時代
3−1.円満退職するまで
20年間勤めた大手金融機関を退職した私は、晴れて自由の身になりました。
何と清々しい気分だったでしょう!!
前職の大手金融機関の調査部門にいたとき、これからはインターネットの時代がくること、金融業界にリストラの嵐が吹き荒れることは予想されていました。
そうした環境の変化に備えて、人生のプランBを着々と準備したのです。
海外で販売されていたインターネット・ビジネスの教材をネットで購入したり、プログラミングを独学したりしていました。
中学生1年生のとき、英語の成績は学年で下から2番目の落ちこぼれでしたが、この時ほど、英語の本のありがたさを実感したことはありません。
インターネット・ビジネスやダイレクト・マーケティングの書籍は、世界中で売りまくるために、とても簡単な英語が使われていました。
さらに最後まで一気に読ませるためのセールス・ライティングのテクニックが駆使されていた(これは後で知りました)ので、朝まで夜更かして読んでしまうほど、刺激的でした。
これをやれば、世界中でモノが売れる!!
空の果てまで心が高ぶりました 笑
また、プログラミングの独習は、最初は日本語で書かれたものや翻訳本を使ったのですが、何を言っているのかわかりにくく苦労しました。
もしかすると、マーケティングの本と同じで、プログラミング独習用の本も、非英語圏も含む世界中の人たちに書かれたベストセラーなら、わかりやすいのでは?と思いました。
アメリカのAmazonで注文してみると、ビックリするほどわかりやすい!! もともとプログラミング言語は英語がベースで作られているので、英語の解説はそのままドンピシャで頭に入ってくるのです。
学校の勉強以外で、洋書を1冊読み切ったのは初めての体験でした。
アメリカと日本では、得られる情報の量と質が全く違います。
実を言うと、自分でもホームページを作り、小さなネットショップを開いていました。
インターネット・ビジネスのやり方を知り、本当に売れるのかどうか、自分で試したい衝動を抑えきれなかたからです。
すると、ビックリしたことに、日本国内でも売れたのですが、アメリカやヨーロッパからも、注文が入ってきたのです!!
ついに個人でも世界中に売れる時代になった!!
しかも、代金の受取はPayPalという決済代行会社を使えば、銀行はもう不要でした。
さらに、個人の日記代わりにブログが日本で使われ始めた頃、アメリカではブログでモノを売ったり、個人事業主が仕事を受注したりするビジネスブログが流行りつつありました。
当時は、インターネットで情報を検索する人が主流で、情報を発信する個人は少なかったため、ブログに投稿すると、検索エンジンで上位表示されやすく、売れやすかったのです。
そんなことをブログに書いたり、セミナーを開催したりしていました。
会社は副業禁止だったので、会社にはもちろん内緒です。
ある時、私のセミナーに出版社の編集者が参加していて、出版を勧めてくれました。
その頃は、もう会社を退職するつもりで、喜んで引き受けました。
そして、人生初の書籍が出版されると、書店に平積みされて、けっこう売れました。
当時のビジネス書で1万部売れると大ヒットと言われていたのですが、3万部売れました。
毎月のように印税が振り込まれてきて、驚きました!!
それが、極めて稀なケースであるのを、知ったのはずっとあとになってからです。
その頃は、すでに関連会社に出向していたので、緊急事態がなければ、夜18時には退社し、平日の夜の時間と週末は、自分の仕事と独立起業の準備に充てていました。
ただ、こうした社外活動をしていると、いつバレてもおかしくない状態になり、関連会社ではとてもよくしていただいていたので、揉め事になる前に、仕事の区切りのよいところで、円満に退職することにしたのです。
3−2.速すぎる変化! 果てしない仕事!!
実際に退職すると、思いがけない変化があちこちで起きました。
まず、妻が家出しました!!
もともと、ワークホリックで、寝ている時間以外は、会社に行っているか、社外活動をしているかで、ほとんど会話もしなくなっていました。
会社にいるときは、何とか仕事という限定的な枠組みの中で、コミュ障ながらも、意思疎通する努力をしていたのですが、家の中では、ポンコツでした。
それが、会社を辞めると、さらにタガが外れてしまい、ポンコツ男の欠陥が前面に出てしまったのです。
もともと社内結婚でした。会社員と結婚して安定した生活ができるはずが、急に会社員でなくなってしまったことに不安・不満もあったでしょう。
結局、離婚しました。
その頃に仲良くしていた独立起業した男性達の中も、退社をきっかけに離婚した経験者が多数いました。世の中、そんなものなのかもしれません。
あと、実際に起業すると、想定していた以上に、やらなければいけない仕事がありました。
大企業なら、経理や総務、情報システムなどの間接部門が担当している仕事を、すべて自分一人でやらなければなりません。
慣れないこともあり、本当に面倒くさい。
会社員の時は、自分が休憩していても、別の誰かが働いてくれて、全体では仕事が進んでいました。
しかし、起業独立すると、自分が休めば、仕事はすべて止まります。
やるべきことが山ほどあるのに、ちっとも片付かない!
独立後、最初のうちは、会社員時代の最後にやっていた情報システムの導入のコンサルタントとして、まずセミナー講師をしながら、集客しようとしていたのですが・・・
情報システムの技術革新のスピードが、想定以上に速い!!!
学んだ知識が1年も経たないうちに陳腐化してしまう・・・
若い人達の学習スピードと中年のおっさんの忘却スピードを比べると、全く歯が立たないという現実に直面することになりました。
ちょうど同じ頃、起業独立した同年代のシステム・エンジニアの知り合いいました。
私と同じようにコンサルタントとして、セミナー講師をしていました。
ある時、セミナー後の懇親会で横の席に座りました。
「Aさん、お疲れさまでした」
「ヨォ、お疲れさま・・・」
「どうですか? 最近・・・」
「うーん、ちょっと・・・また会社員に戻ろうかなって思っているんだよね」
「どうしたんですか?」
「なかなか仕事がとれなくて・・・
時代の流れで、システム開発に必要なスキルがどんどん変わっていくし、勉強しないといけない。
集客や営業も、全部自分でするって結構たいへんなんだよね」
「へぇ〜 Aさんのように、システム開発のプロでもたいへんなんですか?」
「いや、マジ大変。ところで、しのきさんはどうなの?」
「いや、本当ですね。僕はシステム開発のプロではないので。Aさんがたいへんなら、もっとヤバいです。
変化が速すぎてついていけない・・・
最近、アメリカのマーケティングで脳科学とか心理学とかが応用されているので、そっちの方向が面白そうだと思っているんですよ。
人間の脳とか心とかは、進化するのに数千年単位で時間がかかるので、1度身につければ、死ぬまで使えるんじゃないかと・・・」
「あー、なるほど。でも、そっちの方だと、今から勉強しても軽く10年はかかるんじゃない?」
「そうかもしれないですねぇ・・・」
その後、風の噂で、Aさんはある会社に就職し、会社員に戻ろうとしたけど、ただ働き同然の3ヶ月間の試用期間が終わると、あっさり解雇されたと聞きました。
肩書はコンサルタントでしたが、実態はシステム開発を受注する営業だったようです。
情報システム自体の仕事は、技術革新のスピードが速すぎて、無理だな・・・
一度、会社を辞めてしまうと、中高年の再就職は難しい・・・
暗雲が垂れ込めます。
このままでは、すべてを失ってしまう!!!
一瞬、つかみかけた自由は、実につかみどころのないものでした・・・
そして、私は↓↓↓