こんにちは!
SNS集客の専門家 ビジネス成長コーチの篠木(しのき)です
60歳になり、3度目の起業をする理由について、お話ししたいと思います。
数えきれないほどの失敗と挫折を味わってきました。
これから起業される方、ビジネスをもっと成長させたい経営者・事業主の方が、何をしてはいけないかを知るには、今からお話しすることが、きっと役に立つはずです。
個人的には、とても恥ずかしい内容も告白していますので、いつか削除するかもしれません。
でも、私と同じような世代の方で、このSNS時代に
「何から手をつけたらいいのか?」
「SNSをやっても、売上につながらない・・・」
とお悩みなら、生き残るためにたくさんのヒントをお話しするので、どうぞこのままお読みください・・・
1.大学卒業までの生い立ち
1-1.生まれてから小学生まで
1963年1月、母が実家の愛媛県の松山に帰省し、私は長男として、この世に生を受けました。
父は神奈川県川崎市の工場に勤務する電気技師でした。
父も松山の出身で、お見合い結婚でした。
横浜市にある父の勤務先の社宅で、幼少期を過ごしました。
一人っ子で、家族は父と母と私の3人だけ。
「一人っ子なのだから、自分でなんでもできるようになりなさい」
と、母から何度も言われて、育てられました。
50代の後半、人間の深層心理について深く学んだとき、初めて気づきます。
この母の言葉が、私の人生にどれだけの影響を与えたのか・・・
とても重要なので、また後でゆっくりとお話しする機会があるでしょう。
一人っ子で育てられたことが、両親の注目を一人で浴びることになります。
両親としても、甘やかしてはいけない、でも甘やかしてしまう・・・
もしかすると、こんなふうにあなたはお考えかもしれません。
「一人っ子だから、わがままなのだろう・・・」
正直、自分のことはよくわかりません。
しかし、控えめにいって、そうに違いありません 笑
かなり変わった子どもでした。
人生のかなり始めの頃に気づいていたことですが・・・
他の子どもたちに比べて、運動が全くできませんでした。
いわゆる運動オンチです。
小学校2年生の時、体育の時間になると、お腹が痛くなり、いつも見学していました。
- 鉄棒で逆上がりができない
- 4段の飛び箱が飛べない
- 運動会のかけっこはいつもビリ
普通の子どもにできることが、なぜか自分にはできない・・・
後に発達心理学を学んで、うすうす気づいたのですが・・・
大人の発達障害の1つに、「自閉スペクトラム症」というのがあります
確かにそういう空気が読めない人っているなぁ~
でも、自分はそこまでひどくないし・・・
一人っ子だから、少しワガママなだけだよね??
と思っていました。
自分の問題と向き合って、現実として受け入れられるようになるまでに、何十年もかかりました。
1-2.中学生時代
中学生になると、英語を学びます。
例えば、he, him, his 「彼は」「彼に」「彼の」ってなぜ違うのか?
全くわかりませんでした。
「英語とはそもそもそういうものなのだから、まず覚えなさい!」
先生からそう言われました。
でも、なぜ違うのかわからないから、覚えられないのです。
英語の授業で当てられて、教科書を音読させられると、どもるようになりました。
学校に行く途中で、お腹が痛くなり、トイレに駆け込まなければいけなくなりました。
英語だけではありません。
すべての科目が同じような状況でした。
記憶力が悪かったのです。
私と同じように、勉強から落ちこぼれたような生徒たちは、昼休みや放課後に、キャッチボールやサッカーをして、学校生活を楽しんでいました。
しかし、運動オンチの私はその中に入ることができないし・・・
グレるにも、ケンカが弱すぎて、話にもなりません 涙
さらに、勉強ができる優秀な生徒と私のような落ちこぼれとでは、教師が接する態度も変わると気がつきました。
もともと人見知りでしたが、劣等感が強くなり、同級生となかなか親しくなれません。
学校に行っても、居場所はない。
「何もかもイヤだ・・・」
唯一の楽しみはラジオの深夜放送。
明け方まで聴き、授業中はボーっ過ごす。
退屈でした・・・
教室をそっと抜け出し、廊下を走り逃げたことも・・・
でも、鈍足で、すぐ先生に捕まり、職員室で説教くらう。
みじめ~😭
中学1年の1学期が終わった後に、母が学校から呼び出されました。
担任との個別面談です。
その夜、晩御飯が終わると、台所のテーブルで、母が言いました。
「あのね、今日、学校で先生とお話ししたの。
成績が学年で下から数えて10番以内、特に英語はビリから2番目だったって・・・」
目にはうっすら涙が浮かんでいるように見えました。
ボクは運動オンチで勉強もできない・・・
自分がバカなのは、仕方がない・・・
しかし、勉強できないと、親はこんなに悲しむものか・・・
はらわたが煮えくりかえるような激しい怒りが、突然、込み上げます。
悔しくて、悔しくて・・・
もう我慢できません。
「チクショー! こんなに親を悲しませるなんて、絶対に許せない!
あの先公、いつか復讐して、見返してやる!!」
しかし・・・
実際にどうしたらいいのか?
夏休みが終わると、授業はドンドン進み、私はますます落ちこぼれていきました。
やがて冬になり、2学期の期末テストが始まる前のある寒い日の昼休み・・・
勉強ができる生徒達が、机を囲んで集まっています。
こんな会話を交わしていました。
Aくん「これ、覚えた?」
Bくん「え、まだ覚えてない。(テストに)出るかな? やべー」
Cくん「当たり前じゃん」(余裕の表情)
ゲーーーーッ!!!
試験に出そうなところを覚えないといけないのか!!
体の中を衝撃が走りました!
聞いてないよぉ~😲
つまり、試験とは、授業で聞いたことを理解できたか試すものと思っていたのです。
しかし、成績がよい生徒達は、予習や復習をして、試験に出そうなところを予測し、暗記していました。
これでは勝てるわけがありません。
私は「復習の鬼」👹と化し、教科書を片っ端から丸暗記することから始めました。
中学1年の英語の教科書の1ページ目から、英文と和訳を暗記しはじめ、知らない英単語は、すべて単語カードに書き込みました。
毎日、英単語を見ては、意味がわかるかを毎日チェックして、覚えていない英単語だけを抜き取って、また覚えられるまで、毎日カードをめくり続けました。
記憶力がよいわけではありません。
だから、普通の生徒たちのレベルに追いつくまでに、何年も時間がかかりました。
自分が覚えたところが試験問題に出題されると、少しずつですが、正解できるようになっていきました。
かつては、何が分からないのかも、まったく分かっていませんでした。
しかし、記憶した事柄が増えるにつれて、覚えているところと、覚えていないところが見分けられるようになります。
こうして、試験勉強のコツがつかめると、成績は徐々に上がっていきました。
1-3.高校時代
高校生になると、NHKの銀河テレビ小説(のヒロイン)の影響で、昔話や民話、神話にものすごく興味をひかれるようになります。
ある夏休み、岩手県の遠野市を旅行しました。河童にキュウリが供えられているのを見たり、座敷童がいたと伝えられる古民家を訪れると、郷愁で胸がキュンとなりました。
さらに、「桃太郎」という昔話は日本だけのものと思っていたのですが、実は世界中に同じような話が伝えられていることを知りました。
「不思議だな~」「なぜだろう?」と好奇心が止まらなくなりました。
そして、世界の昔話や神話について、もっと「知りたい!」「学びたい!」と思うようになりました。
そのために、進学先の大学を決めました。
記憶力が悪い私には、合格に必要な量の知識を覚えるのに時間がかかり、一浪してようやく志望校に入学できました。
1-4.大学時代
大学時代は、この目で「世界を見てみたい!」という想いで、国際交流団体で活動をしました。
主に東南アジアからの留学生たちと交流したり、ファミレスのバイトで貯めたお金でタイ、フィリピン、インドやネパールなど、バックパックを担いで貧乏旅行したりしていました。
日本だけでなく、アジアの都市部は、すでに国際化の波に飲み込まれていました。
一つの民族で伝えられてきた昔話や神話は、過去の遺物になりつつあると感じました。
これから、昔話や神話を研究して、どんな意味があるのか?
大学4年生になって、就職するつもりはなく、かといって、優秀な先輩や同級生のように大学院に進んで研究者になるのはムリゲーです。
夏休みの直前に、たまたま大学の先輩から「お昼ご飯、食べにこない?」に誘われたのがキッカケで、ある金融機関から就職の内定をいただくことになりました。
それまで、金融や経済には全く興味はありませんでした。
でも、就職先が決まると・・・
「一体、今の社会はどんなふうに動いているのか?」
「きっと『現代の神話』があるに違いない・・・」
と好奇心でワクワクしました。
まぁ、呑気なものです 笑
「給料をもらいながら、社会勉強ができるとはありがたい!!」
社会的な常識がまったくありませんでした。
時代はバブル景気が始まる直前。
まさか、まさか・・・
『現代の神話』に翻弄されることになろうとは、夢にも思っていませんでした・・・
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